入院から移植手術, 退院までの経過:その4

毎食の献立について

ちょっと息抜きに病院の食事を紹介してみましょう。
今回の入院では絶食期間が一ヶ月以上になったため、流動食から徐々に食事内容を上げていく形になり、今は米がお粥な以外は、通常の食事に近いものが出ています。

朝食が8時, 昼食が12時, 夕食が18時に出ます。
朝食は食パンにマーガリン, 果物が付いてきます。昼食と夕食は米に主のおかず, プラス副食が1〜3種類ぐらい付いてきます。昼と夜は殆どボリュームが変わらないので、昼食は持て余し気味です。
治療内容に沿った食事になるので、肝臓疾患では、揚げ物等の脂っこいものはまず出ません。また塩分も抑えられているため塩,醤油等での味付けもあまりされていないようです。そのため、同じような内容の食事の方は大抵「味が薄い」と言われるようです。ぼくの場合、元々濃い味付けが苦手で、醤油やソースをドバドバかけたりするのもできないので、病院食でも味が濃いと思う時も多いぐらいです。

全体的には、おいしいとは思わないけど病院で出る食べ物としては大分マシな方かな?という程度です。
作り置きしたものを加温器で温度調整して出てくるようで、どうしても温め直したものの独特の風味がついてまわります。

原則的に、出るものは食べない訳にはいかないので、それまで食べられなかったものが幾つか食べられるようにはなりました。
去年の入院時には、柿がよく出たのですが、果物の中で唯一に近いぐらい苦手なのが柿でして、仕方なしに食べているうちに苦手という程ではなくなりました。また今年は季節柄、茄子が頻繁に出ます。これまた野菜の中では数少ない苦手なものでしたが解消できました。

(注:茄子はあまりに頻繁に出るため、また食べられなくなってしまいました)

結局のところ、朝食についてくる果物が一番楽しみだったりします。
先日、バナナがまだ青臭いようなものが出てきた時があったのですが、どうしても食べたくなって売店まで買いに行きました。
(グレープフルーツは名残を惜しむように、毎日のように食べています)

早く、自分の好きなものを食べられるようになりたいですね。

(2005.11.2)

しごとについて

記事内でも病院でも明言はしていませんが、行間を読み取っていただければ大体わかる通り、個人事業にてスタッフを何人か抱えて仕事をしています。

元々、仕事なんていうのは生活の糧を稼ぐ手段でしかなく、それ以外のプライベートな時間の方が大事と思っていて、その考え自体は今も変わっていません。
ところが、何の因果か個人事業を始めてからは、仕事に割く時間がだんだん多くなり、プライベートは削られていく一方です。
友人からの誘いも段々減ってきます(大体2〜3回キャンセルするともう声もかからなくなりますね)。

こうして様々なものを犠牲にしながら、今回の入院時点では丸6年を迎えていました。
去年の入院時は、色々問題を起こしながらも自分も病院で作業を進めたりしながら、1ヶ月半を乗り越えました。しかし、今回はいつ復帰できるかも分からない状況ということで、9月末時点でいったん「休業」ということにしました。
今回も去年同様、スタッフには頑張ってもらいましたが、やはり指揮するものが不在ですと限界がありますし、取引先にも逆に不誠実になりますから。

これで、切り捨てられていった個人的な時間に次いで、仕事も無くしてしまった訳で、スッカラカンになってしまいました。
結局、仕事が(仮に一時的であるにせよ)できなくなることより、そこまでして維持してきたものを不可抗力によって奪われたことがショックのようです。

先日、仕事関係で大変お世話になった方から「特急に乗り続ける必要はないですよ, また次の列車に乗れば」という旨のメッセージをいただきました。
他の方からも多数(でもないけど)同じようなメッセージをいただき、どれも大変ありがたく読ませていただきました。
ところがぼくは、電気やガソリンが動力源じゃなく、自転車(しかも3人乗りぐらい)を全速力で漕いでここまで来たようで、止まったらコケてしまいそうで、休み方が分からないのだと思います。

(2005.11.5)

白髪

最近、長い記事が多いので簡単に。

どうも精神的に参ったり難しいことを考えると頭髪に影響がでるようです。
抜けたり, ということはなく、どんどん白い部分が増えていっています。元々年齢の割には多いほうですが、ちょっと最近は増えすぎなような気がします。
以前にも同じように白髪が一気に増えたことがあったのですが、その時はストレスが解消されると同時に色も黒く戻ってきました。

いつまでも入院時の丸刈りスタイルも続けられないし、染めるにしてもそこそこお金かかるので、なんとかしてまた黒くなって欲しいです。

(2005.11.7)

移植という選択肢

「原発性硬化性胆管炎」は、免疫異常が原因と考えられる肝疾患で、今のところ効果的な治療法はなく、一定以上悪化した場合は、肝移植しか延命の方法がなくなります。
ぼくの場合は、診断がついた時点から移植についての話は少しずつしており、去年の入院時、ERCPによる対処療法が余り上手くいかなかったこともあり、その時点で家族, 親族に対しても医師からある程度の説明がありました。
とはいえ、この時は「まだまだ先の話」として「将来的にいずれそういう時期が来る」という前提での話でした。

そして今年の入院時、ERCPが2回, 結果的に失敗に終わったことで、移植するかどうかを含め早急に考えなくてはならないことになりました。
当初は、自分としては周りに強いる負担等もあり、移植については否定的でした。
こんなことは誰にも言っていませんでしたが、病気自体の特異性もあり、35歳ぐらいまで生きて華々しく無残に散っていく, それもひとつの生き方とも考えていました。
ところが、非常に幸運なことに、ここまで準備が進み手術自体も目前に迫ってきました。

ここに至るまでの経緯は「命のリレー」などという言葉で表現できることではなく、自分だけではなく周りの人間を巻き込み、生きることへの最後の選択肢として選ぶかどうかというある意味極限の状況でした。
ただし、自分として最後の決断に至ったのは、自分の延命が第一ではなく「移植を受けたくてもそれができる環境にない, 生きたくても生きられない」方が多数居るのに、移植という道があるにも関わらず放り出してしまうのは、そういう方に対しあまりに申し訳ないという気持ちからです。

正直、手術が上手くいったとしても、延命の保障がある訳でもなく心配事が多少先延ばしになる程度かな, という覚悟もあります。
それでもこうするしかなかったのです。

臓器移植を否定する論調も多々ありますが、それしか生きる手段しかない病気を持って生まれた人間は、その時点で淘汰されるべき存在なのでしょうか?
今入院している病棟の別の階に、小児病棟があります。
詳しいことは全然分かりませんが、家族ぐるみで必死に戦っている方が大半だと思います。

自分の考え自体迷走してばかりですが、少なくともその時々で、生きるということに対しては誠実でありたいと思います。

(2005.11.7)