ドナー家族 揺れる心

動く心臓『第二の死』受け入れに苦悩

突然、脳死のドナー家族の立場になったときの思いは複雑だ。

滋賀県野洲市の重症心身障害児・者施設の園長で小児神経科医の杉本健郎(たてお)さん(58)は、二十一年前、長男剛亮君=当時(6つ)=を交通事故で亡くした経験を持つ。剛亮君は事故で脳死と判定され、心停止後に腎ドナーとなった。

杉本さんは職業柄「脳死は全脳の不可逆的な機能停止状態である」と理解はしていたが、脳死の息子を前にしては、何とか息を吹き返してくれと奇跡を願う一人の父親だった。

杉本さんは、あの日の手術室の光景を今も克明に覚えている。

「手術台には小さな剛亮が裸で寝ていた。体の色はいつもと同じ。脈も打っている。おちんちんも『まだ生きているぞ』と言わんばかりだった。人工呼吸器のチューブが外され、執刀医らは剛亮の心臓が止まるのを今か今かと待っていた。無理もない。当時の移植チームにとっては喜びの瞬間なんだ。腎提供を申し出たのは僕なのに、そんな姿に無性に腹が立った」

「『人工呼吸器を外せば五-二十分で心拍は停止します』と説明を受けていたが、剛亮の心臓は三十分たっても動いていた。『剛亮、息を吹き返すなら今だぞ』と心の中で叫びながら、いたたまれない気分になって『早く止まってくれ』と思ったりもした」

腎臓提供を思い立ったのは、脳死宣告から三日後。「全部灰になってしまうよりは、最期に起死回生のホームランを打たせてやろう」と考えた。「脳死ですと言われてすぐに人工呼吸器を外していたら、悲しくつらいままで終わっていた。脳死段階の二日間は、家族が剛亮の死を受け入れるために必要な時間だった」

「脳死は人の死」となったのは一九九二年の「脳死臨調」答申からだ。その議論でも死とするには反対意見が出た。心臓が動き、体も温かい「第二の死」を受け入れるには大きな苦悩が伴う。

臓器移植ネットワークの雁瀬美佐・広報普及啓発副部長は「意思表示カードを前に、考えた結果が『提供しません』でもいいんです。考える人が増えることが大切」と呼びかける。

杉本さんは、今は「移植を受けた人が今も生きていたらうれしい」と願う一方で、「臓器提供を美談にしないで」とも思う。「臓器を提供しない家族は悪者になってしまう。僕は提供することで息子を失う恐怖から逃れたかっただけ。社会的貢献なんて後から付けた理由」と言う。

「ドナー不足」という言葉にも違和感を覚えるという。「ドナーを豊富に出そうとすれば、脳死状態の人をみとる家族は『無駄な抵抗するな』と無言の責めを受け、理不尽な罪悪感に襲われる」と恐れるからだ。

一方で、国内での臓器移植を期待できない小児患者が海外渡航している。国内での脳死移植を増やそうと、今年三月に与党から二つの臓器移植法改正案が提出されている=メモ。

移植希望者の海外渡航を支援するNPO法人「日本移植支援協会」の高橋和子事務局長は「移植しか生きる道がない患者を、国はいつまで見殺しにするのか」と改正法成立を待ち望む。

だが杉本さんはあえて「移植海外渡航費は尊くて、脳死状態の維持は治療費のムダなのか?」と問いかける。「命の重さは同じはず。歩けず話せず働けず社会的価値は低い重度障害者でも、家族にとってはかけがえのない命をたくさん知っている。その究極が脳死。死にゆく命も救われる命も平等に尊重できる社会であってほしい」

<メモ>臓器移植法改正案 意思表示する書面の必要なことと年齢制限が移植推進の壁となっているとして、本人が生前に書面で拒否していない限り、本人(小児含む)の意思が不明でも家族の同意があれば臓器提供できる「同意規定緩和案」。親族への優先提供の意思表示も可能だ。もう一つは本人の意思と遺族の承諾を必要とする現行法の枠組みは維持しつつ、本人が意思表示できる年齢制限を「十五歳以上」から「十二歳以上」に引き下げる「年齢規定緩和案」。

(2006年11月16日 東京新聞)

投稿者:1-12-bike 日時:2006年12月05日 10:26 | パーマリンク

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